ダッカ、野生の都市(4)

「野生の都市」は永遠には続かない。ダッカの街の面白さは、まだまだ語り切れないが、ここでそろそろ「野生の都市」のブログをまとめたい。

 

「野生の都市」は人々で溢れている。

ダッカの街は様々な人で溢れている。経済が急激に成長しているバングラディシュでは、所得格差は拡大する一方だが、裕福な者も、そうでない者も都心に集まって住み、それぞれが様々な職を持ち生活している。日本や米国のように、近代化によって都市が膨張し、郊外化が進み、都心が空洞化すると、あるいは金持ちしか住まなくなると、都市の活力は失われる。すなわち「野生の都市」は、多様な人々を許容しなければならない。

 

ダッカ グルシャンサークル2 2019年5月

 

「野生の都市」は古いものをボロボロまで使い切る。

ダッカの幹線道路にはボロボロのバスがたくさん走っているが、そのほとんどが海外から買い取った中古バスである。おそらく英国あるいは香港から輸入したであろう2階建てバスや、日本の一般的な大型バスなどを、派手な色を塗り再利用されている。走行中にも飛び乗ることができるように扉は外してある。リキシャは、自転車やオート三輪車のボディに様々な部品を寄せ集めて作られている。自動車も、もともとガソリンで走る日本車を液化天然ガスのエンジンに改造したものである。まさにレヴィストロース(Claude Lévi-Strauss)の“野生の思考(La Pensee Sauvage)”の“ブリコラージュ(Bricolage)”の文化である。

ダッカの幹線道路は中古バスのショーケース 2019年3月

 

「野生の都市」は、手作業のデザインがある。

ダッカの建設現場では人力でコンクリートを打ち(cast)、レンガを一つ一つ積んで壁を築いていた。また、バングラディッシュでは古くから裁縫が盛んであり、安くて質の良い洋服が「人海戦術」によって大量に作ることできるので、多くのアパレル・ファッション業界の工場が進出している。手作業の仕事は一つ一つ個性があり人間的な味がある。我々の世界は、コンピューターと機械によってつくられた無機的なデザインに囲まれている。「野生の都市」を訪れると、人の手で作ることの尊さを教えてくれる。

空港のお土産ショップで現地通貨用に買った財布。同じ魚のデザインの財布がたくさん並んでいたが、皆手作りなので、それぞれ個性と独特のヘタウマ感(sense of crude but charm)が、かわいい。

 

「野生の都市」は、水と緑の都である。

バングラディシュは長い雨季があり、ダッカを含め国全体がデルタ地帯にあるので水と緑が豊かな国である。ダッカも、川の支流をせき止めてできた湖が点在している。また水が豊かなので街は緑で溢れている。豊富な水と緑が灼熱のダッカの街の気温を和らげ、温暖化の防止に貢献しているのである。湖の廻りには高級住宅が建ち並び、ちょっとしたオアシスである。課題は衛生面である。生活排水をたれ流すのでゴミが浮いており、匂いもきつい。蚊の養殖場になってしまっている。そんな湖で漁をしている住民もいるのだが。水を浄化循環させ、整備すればもっときれいな水と緑の都になるだろう。

ダッカ グルシャン湖  湖の廻りには高級住宅やホテルが建ち並ぶ。2019年5月

 

「野生の都市」には自由がある。

ダッカではリキシャも車もバイクも自由に街を移動し、自由に目的地に路駐する。信号など無いし、渋滞は大変なものだが、移動の自由は元気な都市の第一条件である。滞在したホテルの屋上には従業員が、掘っ立て小屋を建てて生活していた。まさに究極の職住近接である。「野生の都市」では、人間が飼いならされていない(not tamed)。デモは毎週のように起きている。またバングラディシュはインドのような階級社会ではないそうで、女性も男性も様々なバックグラウンドの人が同じ職場でのびのびと働いている。その点で民主的な社会といえる。バングラディシュはイスラム教徒が大半なので、その教義を厳格に守りながら生活しているが、一方で「自己責任」や「コンプライアンス」に縛られて「行儀良く」生活するように「飼いならされた(tamed)」社会に住む人間よりは、もしかしたら自由を謳歌しているのかもしれない。

マーケットは街のあちらこちらで開かれている  2019年3月

 

「野生の都市」は永遠ではない。

これまで見てきたダッカの生き生きとした風景は刹那的な現象である。他の都市が歩んできた通り、近代化や工業化、そしてグローバル資本主義化が進めば進むほど、多かれ少なかれその「野生」は弱まっていく運命にあろう。人間的な美しい風景には命があり、そしてその命は限られているのである。すっかり「飼いならされ(tamed)」てしまい「野生」を失った私たちは、単にノスタルジックにその生命力に憧れるのではなく、「新たな野生」を覚醒し、再び都市に「生き生き」と住み・働き・学び・遊び・・・続けることができるであろうか?

これから食肉としてハラール処理される山羊たち。「野生の都市」には、生と死が混在した様々な物語に満ちている。  2019年10月

ダッカ、野生の都市(3)

 

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