東京でもっとも有名な暗渠は?
この質問の答えに、原宿の「キャットストリート」を思い浮かべる人も多いと思う。暗渠という言葉は少々専門的な用語であり、(もちろん皆さん以外は!)この質問自体成り立ちそうもありませんが。正式名称は旧渋谷川遊歩道路、遊歩道ではなく遊歩道路であるのは車も通れるから。表参道の南側の渋谷サイドの「キャットストリート」はポピュラーであるが、我ら暗渠ダイバーとしては、キラー通り(外苑西通り)から潜り始めなければならない。スタート地点は、TERRAZZAテラッツァというイタリア語で「テラス、段丘」と名付けられたコンクリート打ち放しの建物である。まさにキャットストリートの門番という面構えである。すぐ近くに国立競技場がある。
[地図]:「キャットストリート(旧渋谷川遊歩道路)」外苑西通りから明治通り(宮下公園)まで約1.7km。ベースマップ©2020google
TERRAZZA / キラー通りの門番
[写真1]:「TERRAZZA テラッツァ 」 設計:アモルフ(竹山聖) 竣工:1991年。国立競技場のすぐ近く、1階はジャガーの青山ショールーム。最寄り駅は「メトロ副都心線、北参道」または「メトロ銀座線、外苑前」。
それではキャットストリートを上流から歩いてみよう。TERRAZZAの角を入ると、さっそく谷中のへび道のようなくねくねした通りが待ち構える。「くねくね」は、先が見通せない迷路のような風景をつくる。建物に囲まれた親密な領域感、歩行のリズムに合わせた家並みの変化が、我々の身体感覚を心地良く刺激する。もともと都市の川沿いは庶民の街が連続する「下町」である。川が塞がれ道路になっても、幸運にもその幅も広くないので、都市計画的に大型の再開発が難しい。たとえビルへの建て替えが進んでも、そのスケール感や「下町」の土地の記憶を隠すことはできない。「くねくね」は、車のスピードを落とす効果もあり、歩行者にとって安全で快適な空間となる。規模や性質は異なるがローレンス・ハルプリンのニコレット・モールはこの「くねくね」の特質を活かした都市デザインの好例である。この界隈は、グローバルブランドに(まだ)占拠されておらず、美容院やファッション業界の若い個人経営のお店がたくさんあり、渋谷・原宿文化、「若い」「小さな」都市文化の発信地である。TERRAZZAから入って約半分の700~800m程度歩くと表参道である。しかし表参道との交差点は車が通過できない歩行者専用の辻である。同様に渋谷側も直接車が侵入できない。キャットストリートが現在のように歩行者で賑わう状態をつくっている重要な要因である。車が全く進入できないのでは無く、一方が行き止まりであることが味噌である。つまり車による迂回路からのアクセスは可能だが、東京に発生しがちなハイスピードな通過交通の危険な抜け道にならずに済む。
[写真2]:「神宮前3丁目付近」前半のキャットストリートは、住宅の静かな街並みの中にカフェやベーカーリー、美容院、アパレル店などが混在する。表参道に近づくほど徐々に商業ビルが増える。
GYRE / 表参道の門番
表参道に出ると、通りの向こうに再びキャットストリートの入り口にシンボリックな門番建築が表れる。キラー通りの彫の深いイタリア人TERRAZZAに対し、表参道の門番はオランダの気鋭の建築家グループMVRDVによるGYREジャイル。ボックスを徐々に回転ずらしながら積み木のように重ねたファンキーな造形の建築である。このずらし重ね操作によって外壁廻りにテラスをつくり、屋上まで建築の「地形」を登っていけるように計画されている。キャットストリートの新旧の門番建築TERRAZZAとGYREの両者が、建築で新しい地形をつくるという点で共通したコンセプトを備えているのである。しかしその両者のデザインアプローチは異なる。TERRAZZAは打ち放しコンクリートのブルータルな造形の中で、ある意味時代性を反映した表象的で多義的で静的な「ファサード」を表明した建築であるのに対し、GYREは抽象的なボックスを積み重ねるという単純な操作によって多様でダイナミックな空間を生成すること(のみ)に没頭した建築である。したがって古典的な意味でのファサードの美しさなど無関心の、あえて言えば子供っぽい「アグリー」な建築である。オランダの建築エリートによるこの意図的な「アグリー」さが不思議と東京のチグハグした風景にフィットしてしまう。まさしく東京的な「名+迷建築」と言えよう。
[写真3]:「GYLE ジャイル 」 設計:竹中工務店 + MVRDV、竣工:2007年。表参道側ファサード。
さてこの積み木建築の脇を入ると再びキャットストリートが始まる。前半は住宅街の面影を残す比較的静かな環境であるのに対し、後半はガラス張りのアパレル系のテナントビルが建ち並ぶ商業ストリートである。次々と新しい建物が出現する新陳代謝が高そうであるが、ちょうど建設真最中のビルもあった。街並みは雑多で全く統一感は無いが、2~5階程度の低層の小粒のビルのファブリックは非常に集落的で人間的である。こうした景観はまさに「できちゃった」風景と言えるが、こうした質の「美」はなかなか意図的に実現できるものではない。
[写真4]:「神宮前6丁目付近」後半の渋谷側は、アパレル系のテナントが軒を連ねるファッショナブルな商業ストリート。相変わらずのアスファルトの舗装は残念な風景だが、あたかも川の流れの痕跡を強調しているようで面白い。
終着駅 / 宮下公園
若い歩行者で溢れる通りを抜け、明治通りまで行き着くと宮下公園Miyashita Parkの人工地盤である。キャットストリートの終着点にもシンボリックな門番建築が鎮座していたのである。この渋谷のリニアな敷地は長年、(我々世代も含めて)多くの学生の卒業設計の都市建築プロジェクトの聖地であったが、まさに様々な学生の夢を平均化して実現してしまったような施設である。TERRAZZAから始まり、GYLE、そして終着駅(まさしく駅のようなプロポーションである)のMiyashita Parkまで、建築によって新たな地形をつくるというストーリーで一貫している。建築とは地形である。Miyashita Parkの屋上大地に上がってみたが、その細長い領域性からNYのハイラインを想起させた。少々「ごちゃごちゃ」し過ぎていて公園という感じではなかったが、その「ごちゃごちゃ」が良くも悪くも東京っぽい。
[写真5]:「宮下公園」
ここまで来ると、蓋のされていない渋谷川まであと少しである。川の跡を辿って、大階段から地上に降りると、その踊場から「のんべい横丁」の屋根並みを鳥の目で俯瞰することができる。「のんべい横丁」はまさに川沿いに連なっていた下町のバラックの名残。
[写真6]:「のんべい横丁」宮下公園の大階段から見る。
川へ(を)開く / 渋谷ストリーム
ここから先は渋谷駅前の迷宮空間である。何度訪れても渋谷は迷う。。なんとか青山通りまで行き着くと「渋谷ストリーム Shibuya Stream」。長い間、薄暗い汚いドブ川の裏の空間として遠ざけられていた渋谷川を、親水空間として積極的に取り入れたプロジェクト、まさにビルに囲まれた渋谷の渓谷である。都市の川はもともと商業空間としてポテンシャルが高い。江戸-東京はもともとヴェニスやアムステルダムや蘇州のような川や運河の水の都、オールド・リバー・アーバニズムとは封印された水の都の記憶の覚醒である。他のビルは川に対してお尻を向けている中で、渋谷ストリームが「ありがたげに」川を拝んでいるその両者の表情の対比が面白い。きっと渋谷ストリームの成功にあやかって、裏の川を表に取り込む都市複合商業施設が増えていくことは間違いない。こうして小奇麗になると、以前の小汚い渋谷川の風景も懐かしくなってしまう。ついに開渠まで到着したので、中沢新一の「アースダイバー」を気取った渋谷川暗渠ダイブはこのポイントで終了。
[写真7]:「渋谷ストリーム」、渋谷の地形を表象したようなビルに囲まれた渓谷。川との関係を巧みに演出した商業公共空間の成功例。
2020.11.15 新野裕之