長岡の街で考えたこと、建築の地域性とは何か

はじめて長岡を訪れた。市街地の商店街はアーケードが張り巡らされていた。良く見ると、装飾が凝っている。テナント募集の広告が目立つのはどの地方都市も共通の課題であるが、それでも若いお店をちらほら見つけることができた。そういえばファストフード店などはあまり見ない。長岡はがんばっていると思う。

長岡のアーケードは本来雪避けのためで、 雪国の伝統的な木造の町屋建築における「雁木」が近代建築に 継承したものと捉えて良い。上の写真も市内で撮ったもの。脱線するが、長岡は山本五十六の出身地で生家が残されていた。記念館には米軍の攻撃によって戦死したときの偵察機の翼が生々しく展示されている。山本はハーバード大で学び、米国との開戦に最後まで反対した穏健派として知られるそうだ(評価はいろいろあるだろうが)。ぼくたちは学校では近代史の教育は受けない。自分で勉強するしかない。

話を元に戻す。信濃川を渡ると公園の中に1990年代の前半に建てられた興味深い建物がある。

まず、新潟県立近代美術館。緑の太鼓橋を渡ると屋上が庭園になっていて、トップライトがオブジェのように点在していておもしろい。室内も石を贅沢に使用していて、なかなか迫力があった。80年代のバブリーなテイスト、たとえばマリオボッタを思い起こさせる。それとアンバースの緑建築。設計は新宿の大きな組織事務所でした。ちなみに展示は、火山で消滅した街ポンペイと亀倉雄策。どちらも勉強になった。

もう一つは長岡リリックホール。有機的な曲線の造形とメタルとガラスのテカテカした光沢感と軽量感が前者の近代美術館とはまったく対照的。こちらのデザインは建築をやっている人なら誰でも分かりますね。屋根のボキャブラリーは違いますが、人工的な丘を作って半分建物を埋めるというアイディアは熊本八代の博物館を思い出した。こちらでは地元のおじさん&おばさんらしき合唱団が演奏会をやるようだった。

この2つの公共建築を見て考えさせられたのだが、建物は現在でも市民・県民に愛されているようできれいに使われていたし、デザインも質は高いのだが、何か足らない感がした。それは最初の「雁木」のテーマに戻るのだが、建築の地域性の問題にあるのではないか。それはおそらく建築だけの問題ではなく、公園すなわち地のデザインにも課題がある。(追記:リリックホールの渡り廊下は鉄骨の「雁木」してますね!)

やっぱり信濃川の風景は広大で気持良い。向こうに見えるのは長岡の市街地と中越の山々。花火大会はいつか見たい。

新野裕之

長岡を訪れた10/23は中越地震からちょうど6年目でした。

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